今日は、町内会の地蔵盆でした。京都には地蔵盆という習慣があり8月下旬に町内で行う小さなお祭りです。写真の奥に写っているような小さな祠が町のあちこちにあり、町内にあるお地蔵さんを集めてお祭りする日です。昔は子供も多く参加して輪投げをしたり金魚すくいや灯籠づくりなどしていた地域のコミュニケーションの場でした。我が町内は子供がいないので簡素になっています。お坊さんにお経をあげていただいたあと昼食会で終わりました。
町内も年配の方が大半を占め、小さな子供がいる世帯は外へ出ていってしまっているのでだんだんと簡素化して町内会のコミュニケーションを取る機会も減ってきているようです。
ふと感じた事は、、、
大人は子供のために地域が結びつきコミュニケーションをとり助け合い、子供を見守っていくような流れができたんだな~と感じました。子供はそこで地域の祖父母からいろいろ教えてもらったりして子供や親もいろいろ学んで、強い人のつながりを感じながら育っていったんだろうな~と思いました。
核家族化してきている昨今は
働き盛りの人は時間が取れず、、、面倒な事は敬遠したりして、、
最近は日取りや準備の手間などを省くためにだんだんと簡素化してきているようですが、、、
そういった部分の手間を楽する事で、、、大事なことを教わる機会を失いつつあるだろうな~とおもいます。
なにかを得ればなにかを失う、、、のでしょうか、、、、、
個人のご都合主義から生まれてくるんでしょうか?
地域社会の問題がこういうところから生まれてくるんだろうか?
コミュニケーションの場を新に作ろうとする動きもあるようですが、、、長い人生を歩んできた高齢者がいなかれば、、子供にとっても親にとっても芯の声は届かないようにも思えちゃいます。
時代は絶えず変化していく事はあたり前の事なので新しい時代への産みの苦しみなのでしょうか?、、、
しかし昔に比べ、変化の時間の流れが早すぎるような気もします。流れがはやいってことは、、、産みの苦しみの連続ってこともありえるような、、、、
世の中がどのようになって行くかわかりませんが、、
お地蔵さんに手を合わせているとなんとなく落ち着きます。
個人的にでもこういった行事や古き良き伝統を大切にしていきたいと思う今日このごろです。
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